関西のテレマーカーならば、やはり西へ滑りに行ってなんぼの世界。その第1弾は鳥取県の伯耆大山でしたが、第2弾は兵庫・鳥取県境の山へ。初日は氷ノ山の東尾根へ、西日本のテレマーカー総勢13名と滑りに行ってきた。
【日程】2022年4月9日(土)
【山域】中国東部
【場所】氷ノ山
【メンバー】テレマーカー12名、マメゾウムシ
【天候】晴れ
【装備】テレマーク13(BCクロカン含む)
【コースタイム】氷ノ山国際スキー場セントラルロッジ7:55〜東尾根登山口8:04-13〜東尾根避難小屋8:48-54〜一の谷休憩所9:36-53〜氷ノ山山頂11:29-12:33〜滑走〜大屋避難小屋12:57-13:21〜東尾根1370m滑走開始地点14:28〜一の谷休憩所14:58-〜東尾根避難小屋15:35-44〜氷ノ山国際スキー場セントラルロッジ16:21
関西のテレマーカーの親分である雪だるまさんからのお誘いがあり、久しぶりに春の氷ノ山に滑りに行くことになった。雪だるまさんの声かけもあり、なんと総勢13人ものテレマーカーでが集まることなった。ガイドツアーやイベントを以外で、これだけのテレマーカーがすぐに集まれるのは、ある意味、関西の特徴かもしれない。
氷ノ山の東尾根はスキーでは2回ほど行ったことがある。1回は4月のほぼ同じ時期で(2012年4月15日の記録)、もう1回は厳冬期であった(2015年2月15日の記録)。その時の印象ではそこそこ滑れるだったので、道具はプラブーツとフラットソール板・シールの組み合わせで行くことにした。行ってみてわかったことだが、革靴・ステップソール板でも充分に行けるメローな斜面ばかりだった。大半のメンバーはそのような軽快な道具で参加していた。昔の記憶の曖昧さで、少々オーバースペック気味の道具になってしまったが、シールの脱着が面倒だっただけで、メローな斜面の滑りはそこそこ楽しめた。
氷ノ山国際スキー場のセントラルロッジまで車で入れたので、そこからスタートする。
東尾根登山口。雪はしばらくはつながらないだろうから、潔くスキーを背負う。一部のメンバーはスキーを履いたまま、なんとか雪をつなげて登っていくらしい。
スキーを背負ったメンバーは夏道通しで登る。スキーを履いたままのメンバーは谷沿いに詰めていくらしい。
東尾根への急登が続き、汗が噴き出す。こういう時は軽快な道具の方が有利である。NTNブーツでは少々硬いが、それでも75mmのプラブーツよりは若干は歩きやすい。
急登を終えて東尾根に乗る。スキーを履いたままのグループも途中からスキーを担いだらしいが、要した時間は最初からスキーを担いでいたグループとさほど変わらなかった。
なかなか雪がつながらなかったが、ようやく一の谷休憩所付近で雪がつながる。ここからスキーを履いての登りとなる。
雪も緩み、ステップソール板でも登れる。私はフラットソール板にシール着用なので、ステップソール板よりも直登気味に登れるのが利点か。
斜度が緩むと広い尾根になり、ブナ林の中を気持ちよく登る。
メローだが滑るのに良さそうなオープンバーン。
氷ノ山の山頂が見えた。抜け駆けして早速滑る人がいる。
山頂にある避難小屋の前で記念撮影。撮影者が1名いるので、写っているのは12名。
避難小屋の横にはひっそりと須賀ノ山神宮跡の石祠がある。
石祠には以下のことが書かれている。
素戔嗚尊は須賀山(氷ノ山)に降臨し八岐の大蛇を退治して奇稲田媛を妻とし陵と宮を造った。この宮を須賀ノ山神宮という。因幡国、但馬国、播磨国、美作国の四ヶ国の総社で皇室が管理していた。頂上と中腹をめぐり五十八個の宮跡の礎石が現存している。茲に須賀ノ山の古代文化遺跡を後世に伝えるため之を建てる。 平成六年五月吉日 須賀ルーツを探る会
雪だるまさんに教えてもらったが、氷ノ山は古くは須賀の山と呼ばれ、主に因幡側の人の信仰の山であったそうだ。因幡側では北隣の赤倉山を氷の山(ひょうのせん)と呼んでいたが、但馬側の人は須賀の山を標の山(ひょうのせん)、豹の山(ひょうのせん)、氷の山(ひょうのせん)などと呼んでいた。大正初期に陸軍省測測量部が地形図を作成するときに、但馬側の呼び名である「氷の山」と記入した。第二次大戦後に因幡側から異議がでて、昭和51年に「須賀の山」と訂正されたが、やがて再びこれまで定着していた氷ノ山(ひょうのせん)に戻された。現在では氷ノ山(須賀ノ山)と地形図には記載されている。
山頂から北西方向の眺め。正面に翌日に行く扇ノ山が見える。
北東方向の眺め。
南西方向の眺め。
山頂で飛んでいたヒオドシチョウ。
ランチを終えたら、滑走に入る。
滑走シーンは動画をご覧ください。
大屋避難小屋まで滑り込む。水分の多い重めのザラメ雪だったが、滑走に問題はなかった。
各自、自由に滑って、満足したところで、東尾根へ登り返す。
最後は東尾根の滑走。
雪が途切れたところで、滑走終了。スキーを担いで下山へ。
東尾根避難小屋前で一服する。
諦めの悪いメンバーは、登山口近くの斜面で最後の滑走を行った。下山したのは16時過ぎだった。東尾根からの往復だけだったらもっと早く下山できたはず。それだけたくさん滑ったり、登り返したということだ。氷ノ山国際スキー場セントラルロッジ前で解散となった。氷ノ山は標高の高い所はまだ残雪豊富だが、アプローチの雪がなくなっており、そろそろ賞味期限かもしれない。
雪だるまさんが編集した動画です。滑走シーンはこちらをご覧ください。
こちらは私が編集した動画です。
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