April 16, 2023

ブラックダイヤモンドのトレッキングポール(ウルトラディスタンス)石突交換

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かってよく使っていたブラックダイヤモンドのトレラン用ポールのウルトラディスタンス。トレランだけでなく、一般登山や沢登りでも使ってきた。2013年に出場したUTMBでも使ったポールなので、すでに10年ぐらいは使っている。いつの間にか石突がかなり短くなっていることに気がついた。おそらくすり減ったのか、折れたのだろう。石突以外の部分では、グリップベルトが擦り切れてきたことで、2019年12月に交換したことがある。現在は石突き以外は問題なく機能している。できれば、石突を交換して、もう少し使い続けたい。早速、販売店を通して、石突交換が可能かどうか問い合わせてみた。残念ながら古いモデルのため、対応する部品がないとの返事だった。それでは他のメーカーの交換用石突を使って交換はできないかとウェブで調べたところ、自分でブラックダイヤモンドのディスタンストレッキングポールの石突を交換したという記事が出てきた。特に特殊な工具も必要なく、簡単にできるようである。そんな訳で、自分でやってみることにした。参考にしたのは山登り情報発信局というホームページである。

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LEKI トレッキングポール用 フレックスチップ M

用意した交換用石突は、LEKIのトレッキングポール用 フレックスチップMである。アマゾンで1個1210円で売っていたので、2個購入した。交換後は重量が少し重くなるが、スノーバスケットを取り付けることもできる。

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ポールの先端を石突ごと沸騰した湯につけて、3分ぐらい湯煎する。

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石突を両足でおさえて、ポールを上方に引っ張ると、意外と簡単に抜けた。

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ポール先端には接着剤が残っているので、湯に入れて溶かした後に拭き取ればよい。

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あとはポールの先端に接着剤を塗って、交換用石突をはめればよい。接着剤は100円ショップで売っている3000ゴールド瞬間接着剤(耐衝撃)を使った。

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交換用石突をはめ込んだら、石など硬いところに上から垂直に何回か打ち付けた。

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無事、交換成功。あとは山で使ってみて、最終確認である。

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October 08, 2021

LAKE BIWA 100:6年ぶりのトレラン大会はボランティアスタッフにて!

アキレス腱痛にて走ることを控えている昨今だが、かってはトレラン大会にもよく出場したことは、だいぶ昔のことのように感じてしまう。調べてみると、最後に参加したトレラン大会は、2015年7月のThe 4100D マウンテントレイル in 野沢温泉の駅伝であった。それ以来、トレラン大会には関わっていなかったわけだが、ひょんなことから、急遽、トレラン大会のボランティアスタッフをすることになった。今回は選手ではないが、私にとっては実に7年ぶりのトレラン大会であった。

もともと山屋である私がトレランを始めたきっかけは、四十肩になってしまい、沢登りやクライミングができなくなったからである。四十肩が治ってからも、沢登りやバックカントリースキーなどバリエーション登山の持久力とスピードの向上のためにトレランは続けた。元々、一度始めたらとことん突き詰めていく性格なので、レースにも参加するようになった。次第に参加するレースの距離も伸ばしていき、最終的には海外の100マイルレースであるUTMBも完走した。その後もレースに参加することはあったが、自分は山屋であり、競技よりも山をオールラウンドに楽しむことが好きであることを思い出し、次第にレースからは遠ざかっていった。一方で、アキレス腱痛が発症するまでは、登山のためのトレーニングとしてのトレランは続けていた。

トレラン大会に参加しなくなっても、トレイルランナーであるKaoriさんとの、テレマークスキーを中心とした交遊は続いていた。今回は予定していた山行計画が同行予定者と日程が合わず、その日程が空いてしまった時に、たまたま他の要件でKaoriさんから連絡があったことが、ボランティアスタッフとして7年ぶりにトレラン大会に関わるきっかけとなった。ちなみに予定していた山行は、湯俣川の遡行と伊藤新道の下降か、剱岳の北方稜線だったが、次年度に持ち越しとなった。

前置きが長くなったが、LAKE BIWA 100という大会は、そのKaoriさんがプロデュースする100マイルレースである。関西屈指の山岳エリアである鈴鹿山脈・比良山地等の1,200m級のテクニカルな稜線を縦走するため、海外の本格的な山岳100マイルレースと肩を並べる過酷なレベルのレースと言える。今回はコロナ禍ということもあり、参加者は100人に限定した。それに対してスタッフの人数は総勢およそ80名もいたが、3日間にわたる大会、そしてコロナ禍での大会のサポートという点を考えると、決してスタッフが多すぎるわけではなく、むしろ少ないぐらいとも思った。このブログでは、1スタッフの目線で、大会の主に裏側を振り返ってみたい。

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大会のスタート地点は、三重県の朝明渓谷有料駐車場で、スタートは平日である10月1日(金)の9時に切られる。100マイルレースはおよそ160kmになるので、制限時間も52時間と長く、最終ランナーのゴールまで3日間を要することになる。この初日が平日であるため、1日目のエイドスタッフが人数的に足りていなかったことが、直前に急遽私がスタッフを引き受けることになった理由である。スタッフは6時半に集合し、まずはスタート地点の設営作業を行った。

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スタートとなるゲート門を膨らます。台風の影響もあり、この日は朝から風が強かった。

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受付作業が始まる。一応、選手の受付案内役という役割だったが、選手の方もわかっているらしく、特にこれはという仕事はなかった。

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ゲートも無事に立って、スタートを待つばかり。

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スタートは5分ごと20人ずつのウェーブスタート。9時にトップランナー中心の最初のウェーブがスタートした。計5組100人のスタートを見送った後は、スタート地点の撤収作業を行った。

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手の空いているメンバーは、エイドで出すおにぎり作りも行った。人海戦術にて、大量のおにぎりが作られた。その後は各エイドなど、それぞれの役割分担に分かれて移動となった。

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私はスタートから45km地点に位置する第3エイドである余野公園へ移動した。第3エイドは、選手にとっては難所である鈴鹿山脈を終えた後の最初のエイドであり、最初の関門でもあるので、休憩箇所としては重要な位置づけとなる。すでに選手のデポバッグが届けられていた。デポバッグとは選手の着替えや行動食などの荷物が入ったバッグで、エイド間を選手とともに移動していく。

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公園の休憩舎をエイドとして利用する。最初のスタッフ3名にて、テーブルを配置して設営作業を行った。

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設営完了。この後、車にて少しばかり仮眠する。

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気がついたら、トップの選手がエイドに迫っているとのこと。予定より2時間も早い。17時にはトップ選手が到着し、長居することもなく、次のエイドへスタートしていった。

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スキー仲間であるTさんは3位で到着した。

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18時過ぎには後続のスタッフ5人が合流して、ようやくエイドスタッフ全員が揃う。暗くなると、続々と選手が到着してきたが、100人程度の参加者ということもあり、適度に間引かれていて、密になることはなかった。このエイドはスタッフが事前に作った特製カレーが目玉であり、次々とカレーが出ていった。スタッフも夕ご飯としてカレーをいただいたが、とても美味しかった。選手にはカレーはかなりの糧になったに違いない。他のエイドでも同様に特製メニューがあり、選手にとっては次のエイドに向かう励みになったにちがいない。

関門時刻はスタートから20時間後である5時20分。結果として、このエイドでのリタイヤは2名、関門アウトは1名だけというのは、なかなか選手のレベルが高い。選手から聞いた話では、想定していた時間よりも早く第3エイドに到着できた人が多かったようだ。台風による影響で風が強かったが、むしろ追い風で涼しかったことが、タイムの短縮に貢献したのかもしれない。ただし、稜線上では部分的には爆風が吹いていて、危険な箇所はあったようだ。暗くなってから危険箇所を通過した選手もいたと思うが、事故がなくて何よりであった。

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エイドの撤収を終えて記念撮影。お疲れ様でした。深夜に3時間ほど仮眠はできた。私ともう1人は、次のゴール地点へ向かう。他のメンバーは、別のエイドで再びエイド業務とのこと。100マイルレースは、選手だけでなく、スタッフも耐久力が必要だ。

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80kmほどを移動して、ゴール地点である琵琶湖畔の比良レークハウスに到着した。まだ午前中ではあるが、これから明日の昼までゴールで作業を行う。私の主な役割はゴールテープ係であった。

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そんなにのんびりしている暇もなく、トップの土井選手が12時半前にはゴールした。記録は27時間28分と、実に驚異的な速さだった。

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主催であり選手でもあるKaoriさんは、女子3位でゴール。直前までスタッフ作業で多忙だったこともあり、優勝できなかったのは致し方ないことだろう。それでも3位は凄い。日中は、前日とは打って変わり、とても暑くなり、まだ走っている選手は暑さで苦しんでいることが想像できる。

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一般的な選手は、暗くなってから翌日の昼までにゴールしてくる。100マイルレースに参加したことがないとわからないと思うが、2晩目は幻覚を見たりして過酷な状況となることが想像される。

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日の出を迎える。深夜に3時間ほどの仮眠は取れた。まだまだ選手のゴールは続く。ゴールする選手は疲れてはいるが、100マイルを走りきったという充実した顔であり、実に感動的である。3日目も前日と同様に日中はどんどん暑くなっていった。選手が熱中症にならないか危惧するところであるが、医療スタッフが各エイドに配置されていて、万が一の時の体制は整っているのが安心だ。

正午近くにはだんだんとスタッフも増えていき、ゴールテープ係からバーベキューの準備へ移動した。バーベキュー用の野菜を切るなど裏方仕事である。

関門時刻の13時20分の前に最後の選手がゴールした。最終的に完走者は77人で、100マイルレースとして完走率が70%以上というのは、参加した選手のレベルがかなり高かったと思われる。

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バーベキューも終わり、一段落したところでお先に失礼した。

今回、第1回の大会となったBIWA LAKE 100だが、コロナ禍において実施できたことはひじょうに意義が大きい。それは徹底した感染対策がなされていたことによるだろう。参加者やスタッフには、ワクチンの接種証明かコロナウイルスの陰性証明が課されていた。また参加人数を制限し、密にならないようにウェーブスタートとしたり、エイドでサポートの仕方など、感染対策がしっかり考えられていた。そのような制約があったとしても、選手にとっては至れり尽くせりの温かみのある大会ではなかっただろうか。エイドのメニュー内容も充実していたし、各エイドでのデポバックの受け取りや医療体制など選手のサポート体制もしっかりしていた。スタッフの中にはほとんど寝ずにサポートした者もいた。それは完走率の高さにも多少は貢献しているかもしれない。参加した選手たちはきっと満足してくれたに違いない。私も足の調子が万全であるならば、出てみたいとも思ったが、それには他の大会に出てポイントの獲得も必要であるので十分な準備が要求される。私もテレマークスキーのイベントに関わっている立場からして、この大会の実施方法をぜひ参考にしたいと思う。コロナ禍はまだ続きそうだが、この冬は関西にてテレマークスキーのイベントをぜひ実施したい。

実に6年ぶりにトレラン大会に関わったが、やはり選手は山屋さんよりは、雰囲気的にランナー畑の人が多く、文化の違いを感じた。トレランを経験したことのある山屋としては、トレランをきっかけにトレイルランナーたちが登山の世界に入ってくるのは歓迎したい。そのためには、山のマナーを守り、地図読みやリスク管理ができるなど自立した登山者になってもらわねばならないが、すでに100マイルを走った彼らにはそんなに敷居は高くないことだろう。

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November 04, 2020

Apple Watchを活用した登山とワークアウト

これまでランニングなどのワークアウトの記録に使っていたガーミンのランニングウォッチ(ForeAthlete 910XTJ)に、いろいろとガタが出てきました。購入してから7年経つのですが、充電器の爪が折れたり、電源のスイッチボタンが取れたり、ワークアウト時にGPSの位置情報をつかめなくなるなど、いつご臨終してもおかしくない状態ながら、ごまかしごまかし使っていた。最近では、新しい機能をもつランニングウォッチや、ワークアウトにも充分に使えるスマートウォッチも発売されていることから、ついに買い換えることにした。そこで選んだのは、Apple Watch series 6だった。普段使っているパソコンもスマホもApple製ということもあるが、ランニングだけでなく、日帰り登山や、普段の生活と健康維持にも使えるなど、オールランドさが決め手だった。早速、日帰り登山と普段のワークアウトに使ってみたので、使い勝手を報告したい。

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まず、日帰り登山として歩いてきたのは、千早本道から金剛山に登り、紀見峠までダイヤモンドトレイルを縦走するという定番コース。

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山頂付近の紅葉はちょうよく、気温も12℃と暖かいハイキング日和だった。記録の詳細については、ヤマレコの方にアップしてあるので、そちらを見てほしい。このブログでは、Apple Watchの使用レポートのみについて触れることにする。

Apple WatchではApple Watch版のヤマレコアプリを使った。ヤマレコアプリはApple Watch版単体では使えず、iPhone版アプリとの連携が必要である。アプリの使い方については、こちらに紹介されているので、参考されたし。動画での解説もあるので、以下にあげておいた。

使い方ガイドにあるように、事前に地図のダウンロードが必要である。iPhone版アプリで地図を取得し、その地図をApple Watch版アプリに転送しておかなければならない。無料プランでダウンロードできる地図は2つまで。さらに別な地図を取得したい場合は、すでにダウンロードしてある地図を削除すれば、新たにダウンロードできる。有料のプレミアムプランでは、地図を無制限にダウンロードできる。

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最初に、iPhone版アプリで地図を選んで、「登山開始」ボタンを押す。それからApple Watch版アプリを起動させて、「地図表示」ボタンを押すと、上の写真にあるように国土地理院の地図が表示される。Apple Watch側では登山開始/終了の制御はできない。地図の拡大縮小は、デジタルクラウンを回すことでできる。地図をタップすると、歩行時間、移動距離、標高が表示される。あらかじめ予定ルートを入れておくと、予定ルートから外れた場合に、警告の通知がApple Watchにも通知される。現在地を確認するために、いちいちiPhoneやGPS専用機を出したりする必要がないのは便利である。

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iPhone版アプリで写真を撮りながら歩き、登山を終了すると、自動的に山行記録の下書きがヤマレコにアップされる。それによって作成された山行記録はこちら。上の写真のようにSNSなどで記録を共有することもできる。

6時間程度のトレッキングだったが、登山終了時のApple Watchのバッテリー残量は50%程度だった。長時間行動となった場合には、バッテリーがもつかが少々危惧されるが、通常の日帰り登山では充分にもちそうだ。宿泊山行の場合は、所要日数分の充電が可能なモバイルバッテリーが必要となるだろう。

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そのような場合にはガーミンのGPS専用機をメインに使うことになるので、あくまでApple Watchは補助的なものと考えればよいだろう。

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Apple Watchの文字盤は変更することができる。今、好んで使っている文字盤はインフォグラフというもので、「コンプリケーション」を8つも表示できる。「コンプリケーション」というのは、文字盤上にアプリの情報を素速く確認できる機能のことで、タッチすれば素早くアプリにアクセスできる。上の写真は登山で使う場合の文字盤で、コンプリケーションは、左上がHeartWatchで心拍数を表示、右上がボイスメモで、沢登りでの滝の高さなどを記録するのが目的、左下は方位と高度表示、右下はBatteryPhoneでiPhoneとApple Watchのバッテリー残量を表示、上サブダイヤルはアクティビティ、左サブダイヤルがヤマレコ、右サブダイヤルが血中酸素ウェルネス、下サブダイヤルがワークアウトと配置した。

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Apple Watch series6から血中酸素ウェルネスが測定できるようになった。医療用に使うレベルではないが、参考程度には使えそうなので、高山病の予防には役立つかもしれない。一般的に96%〜99%が標準時の値で、90%以下の場合は十分な酸素を全身の臓器に送れなくなった状態(呼吸不全)だそうだ。

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Apple Watchの紹介ついでに、登山で使えるスマホアプリを1つ紹介したい。登山中に見えている山を同定したいと思うことがあるだろうが、山座同定アプリでそれができる。私が使っているのはPeak Finderというアプリだが、山の同定はもちろん、山名入りの写真も撮ることができる。上の写真は中葛城山付近で見える風景で、大峰の山々が見えているのがわかる。

 

次に、普段のワークアウトでのApple Watchの使い勝手について報告したい。7月にアキレス腱炎になり、夏の間は走れない状態だったが、9月からランをぼちぼち再開している。アキレス腱炎は完治したわけではなく、先日のトレッキングでも終盤に痛みが出てしまった。トレーニングをやりすぎるとアキレス腱炎を再発させてしまうし、やらないと体力が落ちてしまう。アキレス腱炎を悪化させずに、うまく体力の向上を図るという駆け引きが続いている。よって以前のように長い距離は走れないし、スピードも出せない。トレーニングの頻度もアキレス腱の状態を見ながら決めている。アキレス腱に痛みが出ていれば休養する。

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上の写真は、Apple Watchにプリインストールされているワークアウトアプリを使ったワークアウト時の表示画面である。上から、経過時間、心拍数、直近1kmのペース、1kmの平均ペース、走行距離が表示されている。心拍数は、以前のランニングウォッチのように心拍計を胸に装着せずに測れるのがよい。これまで使っていたランニングウォッチと同じか、それ以上のことができる。フルマラソンまでならば、バッテリーも充分にもちそうである。それ以上の距離のウルトラマラソンやトレランレースだとバッテリーは持たないだろうが、今後はそのようなハードなレースには参加することはないだろうから問題はないと思われる。

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上の写真は、普段の生活とワークアウト時に使っているApple Watchの文字盤である。コンプリケーションには、左上にHeartWatchで心拍数を表示、右上に気象状況、、左下にタイマー、右下にストップウォッチ、上サブダイヤルにカレンダーでスケジュール表示、左サブダイヤルにアクティビティ、右サブダイヤルにミュージック、下サブダイヤルにワークアウトを表示させている。AirPodを使えば、ミュージックを操作して、聴きながらワークアウトができるので快適である。文字盤を左右にスライドすれば、文字盤の変更も簡単にできる。

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ワークアウトの記録は、上の写真のようにiPhoneのフィットネスアプリから確認できる。ヤマレコアプリで取ったトレッキングの記録も表示されている。

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屋外ランニングの記録をタップすると、さらに詳細が表示される。

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iPhoneのヘルスケアアプリにもワークアウトが記録される。いつの間にか最大酸素摂取量も測定されていた。40〜59歳の男性の最大酸素摂取量の基準は35ml/kg/分なので、51.7という数値はそれよりも高い。

ランニングや登山に専門的に使いたいのならば、専門的なランニングウォッチやGPS専用機の方がよいのは確かだ。一方で、日常生活も含めてオールラウンドに使いたいというのであれば、Apple Watchも充分に選択肢になる得るだろう。特にiPhoneユーザーであれば、Apple Watchは普段の生活とワークアウトをかなり快適なものにさせてくれるにちがいない。

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October 12, 2020

久しぶりのトレッキングにて紀見峠駅から岩湧山

日曜日は、久しぶりに普通のトレッキングで、紀見峠駅から岩湧山へ登ってきた。沢も考えたが、台風による前日までの大雨で沢は増水していて危険だろうということで止めておいた。

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紀見峠駅を出発したのは、ちょうど正午で、トレイルランナーのグループと一緒だった。岩湧山へは根古川林道からアプローチする。相変わらずの慢性的なアキレス腱炎のため、トレーニングとはいえ、そんなにスピードは出せない。当然ながら、トレイルランナーグループは先に行ってしまった。

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途中の林道沿いを流れる根古川は、予想通りに普段よりかなり多い水量で迫力があった。

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出発時は曇りの天気も、山頂に近づく頃には青空が見えていた。ハイカー、トレイルランナーとすれ違う人は多かった。

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紀見峠駅から2時間ほどで岩湧山の山頂に到着。山頂部のススキが秋の風情だ。

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ススキの間から大阪方面の眺め。

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今回は、新しいトレランシューズの慣らしも兼ねていた。下山は砥石谷林道から天見駅へ。相変わらず、終盤にアキレス腱が痛くなる。普通に歩く分には大丈夫だが、トレランはまだできない。

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April 07, 2020

金剛山から紀見峠へ:今年初のトレラン

コロナウイルス対策で不要不急の外出を控えよという昨今ですが、運動をしないと体力も免疫力も落ちてしまう。そんなわけで、先週末は近場にてトレーニングということで、今年初のトレランをしてきた。

【日程】2020年4月4日(土)
【山域】生駒・金剛・和泉
【場所】金剛山
【メンバー】マメゾウムシ
【天候】晴れ
【コースタイム】金剛山登山口バス停11:46〜千早本道五合目12:12〜金剛山12:47〜伏見峠13:01〜久留野峠13:16〜中葛城山13:21〜高谷山13:34〜千早峠13:45〜行者杉14:05〜杉尾峠14:17〜西ノ行者14:41〜山ノ神15:01〜紀見峠駅15:28

ダイトレには、今年になってから3月1日にハイクで行っているが、それ以来となる今年2回目のダイトレはトレランにて走ってきた。走るといっても、身体はまだBC仕様なので、下りと平坦地だけを走るというもので、登りはしっかり歩いた。

縦走する場合は公共交通機関を利用することになるのだが、出発時間を遅めにして、一般登山者の行動ピークとずらした。普段の通勤と比べればリスクは変わらない。そんな訳で、金剛山登山口バス停を出発したのは正午近く。バスの乗客は少なかったが、駐車場の車は多かった。

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トレーニングなので、金剛山の山頂までは急登の千早本道を使い、歩きだが脈拍数を上げて追い込む。山頂広場の気温は10℃と暖かい。千早本道と山頂広場はほぼいつも通りの人の多さという感じ。

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山頂を通過し、ダイトレの縦走に入る。下りと平坦地は走る。伏見峠を過ぎると人も極端に少なくなる。

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行者杉を通過。途中でトレイルランナー1名に抜かれた。

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春の花が咲いていた。ショウジョウバカマ。

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コバノミツバツツジ。

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紀見峠付近はサクラが満開だった。

紀見峠駅に下山し、距離16.5km、所要3時間42分、累積の上り1130mのトレランだった。久しぶりのトレランで翌日は筋肉痛が出た。BCでは筋肉痛にならないのだが、BCとトレランでは筋肉の使い方が違うようだ。

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December 23, 2019

金剛山から紀見峠へリハビリハイク:2019年最後の山行?

大阪マラソン終了後からどうも右足首に痛みがあり、体調もマラソン前の状態にまだ戻っていない。年末年始のバックカントリー遠征を控えてはいるが、雪がなかなか積もらない今シーズンである。いつでもバックカントリーに出られるように体調は整えておく必要がある。そこで体力維持とリハビリを兼ねて、久しぶりに金剛山から紀見峠までややトレランチックに歩いてみた。

【日程】2019年12月21日(土)
【山域】生駒・金剛・和泉
【場所】金剛山
【メンバー】マメゾウムシ
【天候】曇り時々晴れ
【コースタイム】金剛山登山口バス停11:24〜千早本道五合目11:48〜転法輪寺12:13-18〜金剛山12:24〜伏見峠12:43〜久留野峠13:00〜中葛城山13:06〜高谷山13:22〜千早峠13:40〜行者杉14:07〜杉尾峠14:21〜西ノ行者14:44〜山ノ神15:08〜紀見峠15:22〜紀見峠駅15:44

ゆっくり起床して、それから準備してからの出発。公共交通機関利用ということもあり、金剛山登山口スタートは11時24分だった。

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千早本道をノンストップで登るが、後半は失速気味になってしまい、まだ体調が戻っていないことがわかる。

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金剛山の山頂に到着。ここからは下りは、軽く走ってみることにする。

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身体は重いが、下りと平坦地は走って、出発から2時間30分で行者杉に到着。

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出発から4時間で紀見峠に到着。トレランのレースに出ていた時は、ここまで3時間を切っていたのだが、その時と比べるとだいぶ遅くなってしまった。年齢による衰えか、それとも走り込みが足りないのか? ここからは舗装路で紀見峠駅への道となる。

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紀見峠駅に下山。4時間20分の所要時間であった。少しはリハビリになっただろうか?

おそらく関西や奥美濃あたりは年末は雪不足のため、人工雪のゲレンデしか滑れなそうだ。これが年内の最後の山行になる可能性が高い。今シーズンの暖冬と雪不足はバックカントリースキーヤーにとっては深刻な事態だ。せめて年明けには、積雪が間に合ってほしいと祈る気持ちだ。

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December 10, 2019

京大坂道より高野山弁天岳へ

大阪マラソンのダメージがまだ残る翌週は、疲労抜きのために、高野七口街道の1つである京大坂道を歩いてきた。町石道黒河道に続く今年3つめの高野七口街道であったが、最初の2つに比べると、案内が少なく、女人堂まではすべて舗装路で、面白みには欠けるコースであった。

京大坂道は、京都府八幡市からの東高野街道と、大阪府堺市から、下高野街道、中高野街道を合流した西高野街道が、大阪府河内長野市で高野街道京大阪道となり、高野山へ至る参詣道である。この街道は、江戸時代末期になると、圧倒的に利用者が多くなり、旅館や茶屋で賑わうようになる。道中には堺市の十三里石から始まって不動坂口女人堂まで約一里(4 km)ごとに里石(道標)が建っている。

【日程】2019年12月7日(土)
【山域】紀伊
【場所】高野山 京大坂道
【メンバー】マメゾウムシ
【天候】曇り
【コー スタイム】学文路駅11:23〜西光寺・学文路刈萱堂11:36〜大師の硯水12:12〜丹生神社・日輪寺12:22〜千石橋・二里石12:32〜作水集落・第五の地蔵12:44〜「高野の仇討ち」解説板13:33〜日本最後の仇討墓所13:41〜旧白藤小学校13:50〜極楽橋14:08〜不動坂口女人堂14:49〜弁天岳15:10-13〜不動坂口女人堂15:29-39〜極楽橋駅16:07

京大坂道は、町石道、黒河道に比べると距離が短いので、のんびり遅めに自宅を出発した。

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学文路駅スタートは11時半近くだった。

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いきなり駅から出たところで、どう行くべきかウロウロしてしまった。学文路駅の改札口から正面に出て、車道を右に進み、2つめの角を右に曲がり、踏切を渡ると、案内板を見つけた。

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坂を登っていくと、カラスウリの実がなっていた。

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すぐに最初の名所である西光寺・刈萱堂に到着。

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刈萱とは、出家した武士、刈萱道心とその息子、石童丸にまつわる物語のことで、ここには石童丸の母である千里の墓がある。人魚のミイラがあることでも有名。

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案内に従って坂を登っていくと、見事なイチョウの木の紅葉を発見。

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案内に従って左へ進む。

第三の地蔵を過ぎて、右手にトンネルがある立派な新道を横切って進む。

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ほぼ登り切った所に、大師の硯水の説明板があった。

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どうやらこれが大師の硯水らしい。ポンプが動いていたので、今でも生活用水として使われているようだ。

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さらに進むと工事中で本来の道が通れないらしい。工事関係者に案内されて迂回する。

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第四の地蔵の所から、正規の道に戻って下っていくと、河根の集落に入る手前に河根丹生神社があった。

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丹生神社の奥は日輪寺で、鐘がある。

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河根の集落にある元本陣の中屋旅館跡。かっての宿場町である。

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丹生川に架かる千石橋の手前に二里石が建っている。

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千石橋からの下流方向の丹生川の眺め。

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急な作水坂を登る。ここからストックを出す。途中の農家で収穫された柿をいただいた。この道は時々車が通るので要注意!

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第五の地蔵を通過。

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さらに登りは続いて。ほぼ登り切った所にある日本最後の仇討ちの解説版。

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解説版からさらに進むと、日本最後の仇討墓所がある。

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ほぼ平坦だが下り基調の道を進み、神谷宿に入る。かつては「日が昇ると銭が湧く」というほど賑わった宿場町だったそうだ。昭和天皇のご成婚を記念して建立されたご成婚記念道程標がある。

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さらに進むと旧白藤小学校がある。

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ここにはトイレと休憩用ベンチがある。

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右下に南海高野線を見ながら進むと、極楽橋が見えた。

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極楽橋を渡って、不動坂の登りに入る。不動坂を登りに使うのは初めてだが、下りには何回か使っているので、ここからは迷うことはない。

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途中でおばさんパーティーを追い抜いて、清不動を通過。

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不動坂口女人堂に到着。ここまで全て舗装路だった。ここからようやく未舗装のトレイルに入り弁天岳を目指す。

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20分ほどで弁天岳に到着。6月に弁天谷を遡行して以来の山頂だ。

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不動坂を下って、弁天岳から1時間ほどで極楽橋駅に下山。

京大坂道は全てが舗装路で、あまり面白くないコースだったが、歴史に触れられるのは興味深かった。総距離16.9 km、登りの累積標高差1200m、所要時間5時間で、リハビリハイクとしては膝に悪いことを除けばちょうどよかった。

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November 27, 2019

富山県南砺市 道宗道(高落葉山・高清水山・八乙女山)

立山初滑りの翌日は、富山県南砺市へ移動し、石川のテレ仲間であるcimaさん、まつさんと一緒に、古道の道宗道(どうしゅうみち)を歩いてきた。

【日程】2019年11月24日(日)
【山域】北陸
【場所】道宗道(高落葉山・高清水山・八乙女山)
【メンバー】cimaさん、まつさん、マメゾウムシ
【天候】曇り一時雨
【コー スタイム】たいらスキー場駐車場6:22〜朴峠7:08〜高落葉山7:47-57〜高清水山9:04-21〜杉尾峠10:00〜赤祖父山11:34-42〜扇山11:55〜大寺山12:24-34〜八乙女山13:30〜閑乗寺公園14:27

道宗道は、富山県南砺市五箇山の行徳寺と井波町の瑞泉寺を結ぶ約37kmの古道だ。室町時代の僧侶である道宗は、浄土真宗本願寺第8代の蓮如の弟子で、行徳寺の建立者である。道宗は、月に一度は蓮如上人の教えを受けるために瑞泉寺に参ることを決め、長年通い続けたそうだ。その道は誰言うとなく「道宗道」と呼ばれ、今日に伝えられている。この道宗道では、5年前からトレランのレース(世界遺産 五箇山・道宗道トレイルラン大会)が行われており、それを機会にこの古道が整備されたようだ。今回、cimaさんのお勧めで、この道宗道の途中の部分であるたいらスキー場から閑乗寺公園までの約20kmの部分を歩くことにした。ワンウェイのルートであるので、事前にcimaさんの車を下山場所の閑乗寺公園にデポし、私の車で入山場所のたいらスキー場に向かった。

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空が明るくなり出した頃に、たいらスキー場を出発する。たいらスキー場は2020年2月に冬季国体が開催されるため、駐車場などの整備が進み、見違えるほどきれいになったそうだ。

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最初は旧五箇山街道を進む。

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ルート上には道宗道を示す道標があるが、クマに囓られていて、わからないものが結構多かった。

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急な登りが続く。11月下旬とは思えないほどの暖かさで、10℃ぐらいはあるだろうか。汗が吹き出す。途中から雨も降り出し、雨具を着るとさらに汗が多く出て不快だ。所々にその場所の説明があるが、これらはトレラン大会のために整備されたようだ。

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朴峠に到着。高落葉山への登りが続く。

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高落葉山への登りにあったクリタケ。ちょっと古いので採るのはやめた。

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ここは南砺市の重心だそうだ。

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道宗道の最高地点である高落葉山に到着。2012年2月に、cimaさんたちとBCで来て以来の山頂である(2012年2月4日の記録)。雨は止んでくれて、天気が回復してきた。ここからは雨具を脱いで軽快に行きたい!

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11月19日前後に降ったであろう雪が少し残っていた。

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高落場山からはブナの巨木が目立つようになり、変わった形のブナにはいちいち名札がついていた。これは兜ブナ。

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途中、林道に出るところが何ヶ所かあった。

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高清水山への登山道に入る。

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高清水山に到着。

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西側には医王山が見える。

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途中にあった池。ぬかるみが多く、実に滑りやすい。

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廃墟となった林業施設。

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東側の庄川の眺め。

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途中でナメコ発見! クリタケもあったりで、これでは進めないや!

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杉尾峠にあったお地蔵様。

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杉山砦跡。こんな狭いところに砦があったとは。

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北アルプスの眺め。前日までいた立山も見える。

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縦走路を少し離れて、赤祖父山の山頂にも立ち寄る。

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赤祖父山の山頂からの高清水山方面の稜線の眺め。これで半分以上は来たことになる。なかなか他の2人が来ないなと思っていたら、途中でナメコを発見して採っていたとのこと。

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扇山を通過。

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いったん林道に出て、

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再びトレイルに入り、大寺山に到着。ここまでのアップダウンがローブローのように効いてくるが、11月は20kmほどの高野山の古道を2回行っているので、この程度ならば、まだまだ余裕はある。

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大寺山からは急な下りになる。

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また林道に出て、栃原峠を通過。このあたりはトレイルと林道が並行している。

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ぬかるみにクマの足跡がクッキリ! おそらく今日の足跡だろう。

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風穴があるらしい。

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八乙女山を通過。これでアップダウンは終了で、ここからは下りメインとなる。

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途中の分岐はどちらを行ってもよいのだが、トレラン大会で使っているコースを下ることにする。この道が掘れていて、まさにV字谷状態。おまけに落葉が積もっていて、実に歩きにくかった。レースならば、ここでの追い抜きは難しいだろう。

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遊歩道に出ると、

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すぐに車をデポした閑乗寺公園だった。

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閑乗寺公園からの砺波平野の散居村の眺めは見事だった。車の回収のためにたいらスキー場に移動し、解散となった。

今回歩いた道宗道のたいらスキー場から閑乗寺公園までは、総距離20.1 kmで、8時間ほどのハイキングだった。高野山の古道である町石道黒河道と距離的にはさほど変わらなかったが、アップダウンの多さと、すべて歩きだったので、結構時間がかかってしまった。トレランならば、5〜6時間で行けそうな感じがする。次は、道宗道の全ルートを通しで行ってみたい。

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November 19, 2019

高野山 黒河道:病み上がりトレラン

高野山には参詣道として7本の街道「高野七口街道」がある。そのうちの町石道は2週間前に(2019年11月2日の記録)、熊野古道小辺路は7年前に(2012年10月12日〜14日の記録)、いずれもトレランスタイルで行っている。今回は黒河道をトレランスタイルにて行ってきたが、風邪が治りきらない状態で走ったので、なかなかキツいトレランとなった。

黒河道(くろこみち)は、文禄3年(1594)の豊臣秀吉の高野参詣の帰途に用いられたと言われている。しかし、道が険しいことから、多くの参詣客は黒河道の西を並行する京大坂道を利用したようだ。高野山周辺では、地域の産物を高野山へ奉納する「雑事(ぞうじ)のぼり」にも利用されたようで、主に物資の輸送に用いられたらしい。

【日程】2019年11月17日(日)
【山域】紀伊
【場所】高野山 黒河道
【メンバー】マメゾウムシ
【天候】晴れ
【コー スタイム】橋本駅8:48〜定福寺9:06〜鉢伏の井戸9:38〜明神ヶ田和9:53〜市平橋(県道102)10:27〜市平春日神社の桂の木11:00〜くどやま森の童話館(旧久保小学校)12:10〜子継峠(粉撞峠)13:16〜一本杉13:35〜女人堂14:21〜極楽橋駅14:58

この日の2日前に風邪をこじらせ、2日間安静に過ごしていた。幸い熱は下がったが、咳はまだ残る。いつまでも休んでいると体力の低下が心配だ。4日後には立山初滑り、2週間後には大阪マラソンが控えている。黒河道の総距離は20kmほどはあるが、アップダウンはそれほどきつくはない。トレランスタイルではあるが、リハビリのつもりで、のんびりと行くことにした。

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アクセスは公共交通機関にて。南海高野線とJR和歌山線の駅である橋本駅からスタートする。

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橋本駅近くの紀ノ川にかかる橋のたもとには黒河道の案内板がある。黒河道へのルートを示す旗も立っていて、エントリーは迷うことはない。

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橋の上からの紀ノ川の眺め。ここは仕事(野外調査)でもよく来た場所でもある。

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ロードをゆっくりと走って、最初の名所である定福寺に到着。ここが黒河道の起点となる。

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せっかくなので、境内を見学。正面に本堂。

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案内に従って進む。熊出没注意とのこと。

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トレイルに入る。

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ツリガネニンジンの仲間のイワシャジンだろうか?

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観音様が2体。五軒畑岩掛観音というらしい。

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登りが続く。

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鉢伏の井戸を通過。

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途中で車道に出て、登りきったところに数件の民家があり、黒河道の最初の峠である明神ヶ田和だ。

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明神ヶ田和からは沢沿いの道を下る。この沢は藁谷というらしい。

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途中に滝があるではないか! 本当に秀吉一行が通ったんだろうかと思ってしまうような狭い道の下りが続く。

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下りきると車道に出て、目の前は丹生川の流れ。玉川峡だ。

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市平橋の上からの丹生川上流の眺め。

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対岸に渡って、車道を登る。

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振り返ると、丹生川流域の眺め。集落を過ぎて、しばらく車道をそのまま進んでしまったが、どうやら方向が違う。途中で分岐を見逃したようだ。集落に戻ると分岐を発見。分岐は、駐めてあった車に隠れて見えなかったことが判明。これで正規のルートに戻る。

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このあたりは道標が少なく、作業道も交叉していて、ひじょうにわかりにくい。

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市平春日神社の桂の木を発見。間違ってはいないようだ。この先は急な登りとなり、作業道が交叉していてわかりにくいが、方角と時々出てくる道標にて道が正しいことを確認する。

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登りきると林道に出た。正面にある太閤坂コースに入る。

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緩い登り基調の道を進む。走りたいところだが、病み上がりで調子が上がらない。

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山の中に民家が現れ、そのまま進むと車道に出て、正面にくどやま森の童話館が現れた。バイクのツーリングで訪れた3人組男性がちょうど出発するところだった。

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校庭にまわってみる。くどやま森の童話館は、2006年以降休校となっていた旧久保小学校が、2017年10月1日に生まれ変わった新たな施設である。4月から11月までの週末および祝日が開館日である。豊かな自然に囲まれた木造校舎にて、木や森に関する絵本や童話、高野山関連の専門書等を読むことができるらしい。リスニングルームも備えており、貴重なアナログレコードの名盤を楽しむこともできるらしい。ゆっくり休みたいところだが、先を急ぐことにする。

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童話館からは、粉撞ルートを進む。このあたりの木の葉の色づきは悪くない! 子継峠(粉撞峠)までは登りとなる。

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つづら折りの急登を登り切って、しばらく進むと子継峠に到着。

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子継峠からは下りになり、この分岐を女人堂方向に曲がってしまったが、転軸山方向に進むで問題なかった。

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車道に出てから、右へ曲がり、戻るような感じで一本杉に到着。

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一本杉からはどっちに進んでよいかウロウロしながら、結局、車道にて女人堂へ進むことにした。病み上がりのもので...

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女人堂までの車道は登り基調であった。途中にあった徳川家霊台付近の紅葉はいい感じだ!

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女人堂に到着。

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女人堂からは大坂道を極楽橋駅まで下る。

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ケーブルカー軌道下のトンネルをくぐると、観光客でいっぱいのケーブルカーが下ってきた。

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下りきったところが、極楽橋。

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極楽橋を渡って、南海高野線の極楽橋駅に到着。極楽橋駅からは大抵座れるのだが、今回は観光客で結構混雑していた。ちょうど高野山は紅葉のシーズンということもあり、混雑もピークな感じでだった。

今回は、総距離22km、登りの累積標高1400m、所要時間6時間15分のトレランでした。病み上がりということもあり、今回は体力的に結構キツかった。すぐに息は上がるし、身体も重かった。残りの高野山の参詣道も、本格的なスノーシーズンが始まるまでには行っておきたいが、まずは体調を戻さねば。

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November 08, 2019

高野山 町石道:トレラン中にスズメバチに刺される!

自宅から比較的近い高野山には、参詣道として7本の街道「高野七口街道」があることを知った。その7本の道の一つである町石道(ちょういしみち)は約22kmの距離があり、久しぶりのトレランにはちょうどよい距離である。沢のシーズンが終わり、スキーシーズンが始まる前のこの時期のトレーニングとして、11月の3連休初日をを利用して、この町石道をトレランスタイルでスピーディーに行ってきた。なんとその道中にてスズメバチに刺されるというトラブルがあったが、昔日の面影が残る古道でのトレランはなかなか趣のあるものだった。

【日程】2019年11月2日(土)
【山域】紀伊
【場所】高野山 町石道
【メンバー】マメゾウムシ
【天候】晴れ
【コー スタイム】九度山駅9:36〜慈尊院9:49〜展望台(百六十五町石)10:15-22〜六本杉峠11:04〜古峠11:17〜二ツ鳥居11:21〜神田地蔵堂11:33〜笠木峠11:59〜矢立峠12:31-37〜展望台(四十町石)13:09〜鏡石13:21〜大門13:49〜根本大塔14:02〜金剛峯寺14:11〜高野警察前バス停14:25

高野山町石道は、弘法大師・空海が高野山を開創した際、木製の卒塔婆を建てて道標とした表参道である。高野七口街道の中でも、町石道は主要参詣道として利用され、町石は単なる道標ではなく、参拝者が卒塔婆形町石に礼拝をしながら山上を目指したことを今に伝えている。

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アクセスは公共交通機関利用にて、南海高野線の九度山駅からスタート。

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久しぶりに生足の正統派トレランスタイルにて。

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まずはロードラン。すぐに真田庵(善名称院)を右に見ながら通過する。真田庵は真田昌幸・幸村親子が蟄居していた屋敷跡に建てられたお寺である。

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道の駅柿の郷くどやまの前を通過して、しばらく進むと慈尊院に到着する。

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石段を登り、慈尊院の中に入ると多宝塔が目に入る。

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慈尊院が町石道の起点になる。ここから高野山の大塔まで180本の卒塔婆形町石が1町(約109m)ごとに建てられている。町石には密教の仏尊を示す梵字と壇上伽藍までの町数、そして寄進者の願文が刻んである。町石道が開かれた当初は木製であったため、やがて朽ちていったが、鎌倉時代、幕府の有力御家人、安達泰盛らの尽力で朝廷、貴族、武士などの広範な寄進により木製の卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され、ほぼ完全な形で今日に遺されている。弘法大師はこの道を通り、月に9度は山を下りて、この慈尊院に滞在していた母のもとに通っていたらしい。それがこの地の地名「九度山」の由来となったそうだ。その後、多くの人々が参拝に訪れるようになり、高野山へ通じる7つの道が開かれ、「高野七口」と呼ばれるようになる。

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このような町石道についての説明板が途中にいくつかあった。

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このあたりはクマが出るらしい。舗装路の急登を登る。

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舗装路の急登を登って、百六十五町石の展望台に到着。

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休憩所には人慣れしたネコがいて、擦付いてきた。

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柿畑の中を進む。右手には紀ノ川の眺め。

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舗装路を登り切ると、トレイルになる。トレイルの走りは気持ちよい。

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銭壺石。こんな感じの石や岩が途中に何ヶ所かあり、その由来についての説明がある。

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これが町石。

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六本杉峠に到着。この辺りから先行者をどんどんと追い越していく。アップダウンがあまりなく、実に走りやすい。

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二ツ鳥居を通過。弘仁10年(819年)5月3日、丹生明神・高野明神を弘法大師が高野山に勧請した時、この鳥居を鄧材で建立したと言われている。現在の石造りになったのは、慶安2年(1649年)5月と言われている。

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白蛇の岩と鳥居を通過。

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神田地蔵堂を通過。この辺りは右手がゴルフ場の敷地になっている。久しぶりのトレランにもかかわらず、調子は悪くない!

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笠木峠を通過。この辺りから逆方向から来る人とすれ違うことが増える。

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走っていると、いきなり右膝のあたりに激痛を感じた。キイロスズメバチと思われるハチが1匹まとわりついていたので、そのハチに刺されたらしい。巣が近くにあったのだろうか? 刺された箇所は腫れてきたし、ズキズキと痛むので、しばらく止まって様子を見る。過去にクロスズメバチに刺されたことはあるが、それほど腫れはひどくはならず、アナフィラキーも出なそうな感じだったので、とりあえず歩いて進むことにした。すでに町石道の3分の2以上は来ているので、まあ、残りも行けるだろうと楽天的に考えた。

歩いて進むつもりでいたが、実に走りやすそうなトレイルが続く。痛みはあるが、やはり走ることにした。最近は虫に刺され慣れたのか、歳のせいか、カ・ブヨ・ヌカカ・アブなどに刺されてもあまり腫れないし、痒みもすぐに引いてしまう。どうやら虫刺されには強い身体になってしまっているようだ。

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車の音が聞こえてきて、しばらく進むと矢立峠に出た。茶屋などもあり、休憩にはよい場所だ。

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再びトレイルに入り、袈裟掛石を通過する。

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押上石。

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車道を渡って、登っていくと四十町石の展望台に着く。

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展望台からいったん下ると、再び登り基調となる。その途中にある鏡石。ハチに刺された箇所はズキズキするが、走るのは特に問題ない。

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最後のつづら折りを登りきると、目の前に大門が姿を現す。高野山に到着だ!

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壇上加覧中門。

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壇上加覧金堂。

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根本大塔。

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せっかくなので、観光客が多い中を金剛峯寺へ。

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金剛峯寺に到着。当初は女人堂から極楽橋駅まで走って下山する予定だったが、スズメバチに刺されたこともあったので、大事を取ってバスとケーブルカーにて下山することにした。ここまで総距離は22km、登りの累積は1250m、所要時間5時間であった。

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帰宅してから刺された箇所をアイシング。腫れと痛みは翌日も残ったが、翌々日にはすっかり引いていた。どうやらハチにも強い身体のようだ。

今回はスズメバチに刺されるというトラブルはあったが、古道のトレランは歴史を感じるなかなか趣のあるものであった。残りの高野七口街道も近々歩いて(走って)みようと思う。

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