
私が顧問をしているワンダーフォーゲル部が奥美濃に所有する山小屋こと「桧山荘」が、今年(2026年)で竣工から60年を迎えた。

それを記念して、10月3日〜4日に、桧山荘で60周年祭が行われた。

60名近い老若男女が集まり、その顔ぶれは、桧山荘の建設に携わり桧山荘の歴史をスタートさせたOBたち、現在も桧山荘の歴史を作り続けている現役部員たち、そしてその間を埋める歴史を作ってきたOBOGたちであった。その他にOBOGの家族や友人の参加もあった。
桧山荘の建設に携わったワンダーフォーゲル部5期生であるOBのTさんによると、この奥美濃の地に山小屋を建設するに至った経緯は、1963年1月に行われたワンダーフォーゲル部創部後初となる本格的な山スキー合宿に遡ることになる。この合宿は、福井県勝山市の法恩寺山にある伐採目的の小屋(?)をベースにして行われた。1962年8月に部員数名で勝山入りし、勝山市役所に山スキー合宿ができそうな場所はないかと相談した。翌日に、法恩寺山を含め、地元の山岳関係者を紹介された。その際に地元の山岳関係者に紹介されたのがこの小屋であり、夏場だけ利用され、冬場は積雪のために閉じられていた。その年の11月の秋合宿で、小屋の視察、荷物(鍋、食器、ホエーブス(ガソリンコンロ、スコップ、食糧等)の小屋への荷揚げ、登山道沿いに赤布でのマーキングなどの作業を行った。現在、法恩寺山の西側には、スキージャム勝山がある。
そのような準備を終えて、ついに初の山スキー合宿の日を迎えたが、現地に着くと、あまりの大雪にびっくりしたそうである。先発隊7名は登山口からスキーで登山開始したが、シール登行に慣れていなかったためであろうか、途中の急登からワカンに履き替えた。そこからは全身が雪に埋まるラッセルとなり、小屋に到着するのに2日を費やしたそうだ。現在の新雪用のファットスキーであれば、雪に沈まず、深雪でも比較的楽にラッセルはできるのだが、おそらくシール登行の経験がなかったための判断であろう。先発隊の苦労のおかげで、本隊はラッセルの苦労をせずに1日で入舎できたそうである。なお、この大雪は後々有名になった三八豪雪で、2日間で2m以上の降雪があったそうである。三八豪雪は、1962年(昭和37年)11月末から1963年(昭和38年)2月初めまで、約1か月にわたり北陸地方を中心に東北地方から九州にかけての広い範囲で起こった雪害(豪雪)で、全国で死者228名、行方不明者3名の被害となった。山岳遭難としては、北アルプスの薬師岳で愛知大学山岳部の13人が死亡した遭難事故、北海道の大雪山系の旭岳で北海道学芸大学の山岳部10名が死亡する遭難事故が発生した。
肝心の山スキー合宿であるが、全て初めての全くの手探りの合宿となった。全員がゲレンデスキーしか知らないメンバーだったので、山スキー訓練を始めたはよいが、全員が最初は新雪深雪滑りに苦労し、ターンさえできない状態でだったそうである。そんな状態でも、初の合宿はとりわけ新鮮であった。この小屋を紹介した山岳関係者も同行し、スキー指導にあたったため、合宿の内容も充実していたのだろうか。今後も続けたいという大声と歌声が小屋中に響いたとのことである。合宿終了後、部員たちにそのような合宿ができる独自の山小屋がほしいという気持ちが高まっていったのは言うまでもない。
その後、OBと当時の現役において山小屋設立のための話し合いが続けられ、数年間で夢からどんどん現実化へ進んで行く。そして候補地が白馬と現在の奥美濃の2つに絞られた。現地を下見した結果、現在の山小屋と満天の湯の間を流れる小川にイワナがいたことが決め手になったようだ。イワナは現在でもその小川に生息している。問題は山小屋建設のための資金集めである。その当時の現役部員たちが、ダンスパーティーのチケットを売ったり、アルバイトをしたり(ほぼ強制)、OBの寄付金により集めたそうである。当時の部員の多さを考慮し、2階だけで80名は収容できるようにしたいということで、九頭竜ダムに埋まる予定の合掌造りの古民家を譲り受け、解体、運搬、建設となった。もちろん大部分の作業は当時の現役部員たちだけによって行われたため、その苦労は計り知れない。そしてついに1966年(昭和41年)11月6日に桧山荘竣工式が行われ、当時の学長も遠路はるばると参加してくれたそうである。当時は同じ公立大学である東京都立大学ワンダーフォーゲル部と良好な交流関係があり、東京都立大学ワンゲル部の部員たちの参加もあったそうである。
それから60年の歳月をかけて、現在までの桧山荘の歴史が作られていったのである。私は顧問として現在までの10年間の桧山荘の歴史を共有しているに過ぎない。桧山荘建設に至る経緯についての話が長くなったが、60周年祭の報告に戻りたい。

たまたま60周年祭の前日に休暇が取れたことから、私は前日に山小屋に入舎し、山小屋から最も近いメジャーピークの水後山を往復してきた。

他に2名ほど前泊者がいたことから、その夜は前夜祭となった。

60周年祭の朝を迎える。60人近い人数が山小屋に泊まることになるため、事前に各自が寝る場所を決めておかねばならない。十分に1人が寝返りできる広さでテープにて区割りを行った。まるでフェリーの2等船室のようであるが、コロナ前の混雑した営業小屋よりは1人当たりのスペースは広い。
正午前ぐらいから参加者が到着し始めた。大阪からはマイクロバスもチャーターしており、現役部員を含む関西からの参加者と、途中の岐阜羽島駅で関東からの参加者が乗車した。

15時から開会式が行われた。まずはOBOG会の会長が挨拶。

続いて、桧山荘管理運営委員会の会長が挨拶。

最後に現役部員の主将が挨拶。

乾杯の発声で、60周年祭の宴が始まった。

持ち寄られた大量の酒類が並ぶ。

夕食の準備をする現役部員。

60人分のご飯は大釜でいっぺんに炊く。

大人数分の食事メニューはやはりカレーライスである。本格的なインドカレーであったが、子どももいるので辛さは控えめであった。

日没後はキャンプファイヤーが始まる。ゲームや歌などで盛り上がる。

宴は深夜まで続いた。

薪ストーブの周りに集う山小屋建設メンバー。私は朝食で食べたラードぎとぎとのガーリックライスでお腹の調子がよくなく、残念ながら早めに床についた。

翌朝は8時から朝食タイム。メニューはサンドイッチとコーヒーで、卵、ハム、チーズなどを各自で食パンに挟んで食べた。

9時から解散式で、参加者全員で輪になって、全員が一言ずつ感想等を述べた。
最後に全員で記念撮影を行い、60周年祭は閉幕となった。
次は70周年であるが、今回の参加者全員が元気に参加できることを祈りたい。現役部員においては、これからの桧山荘の新たな歴史を作っていってもらいたい。私においては、今後の現役部員やOBOGたちに役立つように、これまで桧山荘周辺で開拓した山スキーや沢登りのルート集をそれまでにまとめたいと思う。
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