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October 08, 2021

LAKE BIWA 100:6年ぶりのトレラン大会はボランティアスタッフにて!

アキレス腱痛にて走ることを控えている昨今だが、かってはトレラン大会にもよく出場したことは、だいぶ昔のことのように感じてしまう。調べてみると、最後に参加したトレラン大会は、2015年7月のThe 4100D マウンテントレイル in 野沢温泉の駅伝であった。それ以来、トレラン大会には関わっていなかったわけだが、ひょんなことから、急遽、トレラン大会のボランティアスタッフをすることになった。今回は選手ではないが、私にとっては実に7年ぶりのトレラン大会であった。

もともと山屋である私がトレランを始めたきっかけは、四十肩になってしまい、沢登りやクライミングができなくなったからである。四十肩が治ってからも、沢登りやバックカントリースキーなどバリエーション登山の持久力とスピードの向上のためにトレランは続けた。元々、一度始めたらとことん突き詰めていく性格なので、レースにも参加するようになった。次第に参加するレースの距離も伸ばしていき、最終的には海外の100マイルレースであるUTMBも完走した。その後もレースに参加することはあったが、自分は山屋であり、競技よりも山をオールラウンドに楽しむことが好きであることを思い出し、次第にレースからは遠ざかっていった。一方で、アキレス腱痛が発症するまでは、登山のためのトレーニングとしてのトレランは続けていた。

トレラン大会に参加しなくなっても、トレイルランナーであるKaoriさんとの、テレマークスキーを中心とした交遊は続いていた。今回は予定していた山行計画が同行予定者と日程が合わず、その日程が空いてしまった時に、たまたま他の要件でKaoriさんから連絡があったことが、ボランティアスタッフとして7年ぶりにトレラン大会に関わるきっかけとなった。ちなみに予定していた山行は、湯俣川の遡行と伊藤新道の下降か、剱岳の北方稜線だったが、次年度に持ち越しとなった。

前置きが長くなったが、LAKE BIWA 100という大会は、そのKaoriさんがプロデュースする100マイルレースである。関西屈指の山岳エリアである鈴鹿山脈・比良山地等の1,200m級のテクニカルな稜線を縦走するため、海外の本格的な山岳100マイルレースと肩を並べる過酷なレベルのレースと言える。今回はコロナ禍ということもあり、参加者は100人に限定した。それに対してスタッフの人数は総勢およそ80名もいたが、3日間にわたる大会、そしてコロナ禍での大会のサポートという点を考えると、決してスタッフが多すぎるわけではなく、むしろ少ないぐらいとも思った。このブログでは、1スタッフの目線で、大会の主に裏側を振り返ってみたい。

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大会のスタート地点は、三重県の朝明渓谷有料駐車場で、スタートは平日である10月1日(金)の9時に切られる。100マイルレースはおよそ160kmになるので、制限時間も52時間と長く、最終ランナーのゴールまで3日間を要することになる。この初日が平日であるため、1日目のエイドスタッフが人数的に足りていなかったことが、直前に急遽私がスタッフを引き受けることになった理由である。スタッフは6時半に集合し、まずはスタート地点の設営作業を行った。

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スタートとなるゲート門を膨らます。台風の影響もあり、この日は朝から風が強かった。

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受付作業が始まる。一応、選手の受付案内役という役割だったが、選手の方もわかっているらしく、特にこれはという仕事はなかった。

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ゲートも無事に立って、スタートを待つばかり。

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スタートは5分ごと20人ずつのウェーブスタート。9時にトップランナー中心の最初のウェーブがスタートした。計5組100人のスタートを見送った後は、スタート地点の撤収作業を行った。

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手の空いているメンバーは、エイドで出すおにぎり作りも行った。人海戦術にて、大量のおにぎりが作られた。その後は各エイドなど、それぞれの役割分担に分かれて移動となった。

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私はスタートから45km地点に位置する第3エイドである余野公園へ移動した。第3エイドは、選手にとっては難所である鈴鹿山脈を終えた後の最初のエイドであり、最初の関門でもあるので、休憩箇所としては重要な位置づけとなる。すでに選手のデポバッグが届けられていた。デポバッグとは選手の着替えや行動食などの荷物が入ったバッグで、エイド間を選手とともに移動していく。

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公園の休憩舎をエイドとして利用する。最初のスタッフ3名にて、テーブルを配置して設営作業を行った。

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設営完了。この後、車にて少しばかり仮眠する。

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気がついたら、トップの選手がエイドに迫っているとのこと。予定より2時間も早い。17時にはトップ選手が到着し、長居することもなく、次のエイドへスタートしていった。

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スキー仲間であるTさんは3位で到着した。

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18時過ぎには後続のスタッフ5人が合流して、ようやくエイドスタッフ全員が揃う。暗くなると、続々と選手が到着してきたが、100人程度の参加者ということもあり、適度に間引かれていて、密になることはなかった。このエイドはスタッフが事前に作った特製カレーが目玉であり、次々とカレーが出ていった。スタッフも夕ご飯としてカレーをいただいたが、とても美味しかった。選手にはカレーはかなりの糧になったに違いない。他のエイドでも同様に特製メニューがあり、選手にとっては次のエイドに向かう励みになったにちがいない。

関門時刻はスタートから20時間後である5時20分。結果として、このエイドでのリタイヤは2名、関門アウトは1名だけというのは、なかなか選手のレベルが高い。選手から聞いた話では、想定していた時間よりも早く第3エイドに到着できた人が多かったようだ。台風による影響で風が強かったが、むしろ追い風で涼しかったことが、タイムの短縮に貢献したのかもしれない。ただし、稜線上では部分的には爆風が吹いていて、危険な箇所はあったようだ。暗くなってから危険箇所を通過した選手もいたと思うが、事故がなくて何よりであった。

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エイドの撤収を終えて記念撮影。お疲れ様でした。深夜に3時間ほど仮眠はできた。私ともう1人は、次のゴール地点へ向かう。他のメンバーは、別のエイドで再びエイド業務とのこと。100マイルレースは、選手だけでなく、スタッフも耐久力が必要だ。

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80kmほどを移動して、ゴール地点である琵琶湖畔の比良レークハウスに到着した。まだ午前中ではあるが、これから明日の昼までゴールで作業を行う。私の主な役割はゴールテープ係であった。

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そんなにのんびりしている暇もなく、トップの土井選手が12時半前にはゴールした。記録は27時間28分と、実に驚異的な速さだった。

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主催であり選手でもあるKaoriさんは、女子3位でゴール。直前までスタッフ作業で多忙だったこともあり、優勝できなかったのは致し方ないことだろう。それでも3位は凄い。日中は、前日とは打って変わり、とても暑くなり、まだ走っている選手は暑さで苦しんでいることが想像できる。

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一般的な選手は、暗くなってから翌日の昼までにゴールしてくる。100マイルレースに参加したことがないとわからないと思うが、2晩目は幻覚を見たりして過酷な状況となることが想像される。

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日の出を迎える。深夜に3時間ほどの仮眠は取れた。まだまだ選手のゴールは続く。ゴールする選手は疲れてはいるが、100マイルを走りきったという充実した顔であり、実に感動的である。3日目も前日と同様に日中はどんどん暑くなっていった。選手が熱中症にならないか危惧するところであるが、医療スタッフが各エイドに配置されていて、万が一の時の体制は整っているのが安心だ。

正午近くにはだんだんとスタッフも増えていき、ゴールテープ係からバーベキューの準備へ移動した。バーベキュー用の野菜を切るなど裏方仕事である。

関門時刻の13時20分の前に最後の選手がゴールした。最終的に完走者は77人で、100マイルレースとして完走率が70%以上というのは、参加した選手のレベルがかなり高かったと思われる。

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バーベキューも終わり、一段落したところでお先に失礼した。

今回、第1回の大会となったBIWA LAKE 100だが、コロナ禍において実施できたことはひじょうに意義が大きい。それは徹底した感染対策がなされていたことによるだろう。参加者やスタッフには、ワクチンの接種証明かコロナウイルスの陰性証明が課されていた。また参加人数を制限し、密にならないようにウェーブスタートとしたり、エイドでサポートの仕方など、感染対策がしっかり考えられていた。そのような制約があったとしても、選手にとっては至れり尽くせりの温かみのある大会ではなかっただろうか。エイドのメニュー内容も充実していたし、各エイドでのデポバックの受け取りや医療体制など選手のサポート体制もしっかりしていた。スタッフの中にはほとんど寝ずにサポートした者もいた。それは完走率の高さにも多少は貢献しているかもしれない。参加した選手たちはきっと満足してくれたに違いない。私も足の調子が万全であるならば、出てみたいとも思ったが、それには他の大会に出てポイントの獲得も必要であるので十分な準備が要求される。私もテレマークスキーのイベントに関わっている立場からして、この大会の実施方法をぜひ参考にしたいと思う。コロナ禍はまだ続きそうだが、この冬は関西にてテレマークスキーのイベントをぜひ実施したい。

実に6年ぶりにトレラン大会に関わったが、やはり選手は山屋さんよりは、雰囲気的にランナー畑の人が多く、文化の違いを感じた。トレランを経験したことのある山屋としては、トレランをきっかけにトレイルランナーたちが登山の世界に入ってくるのは歓迎したい。そのためには、山のマナーを守り、地図読みやリスク管理ができるなど自立した登山者になってもらわねばならないが、すでに100マイルを走った彼らにはそんなに敷居は高くないことだろう。

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