京大坂道より高野山弁天岳へ
大阪マラソンのダメージがまだ残る翌週は、疲労抜きのために、高野七口街道の1つである京大坂道を歩いてきた。町石道、黒河道に続く今年3つめの高野七口街道であったが、最初の2つに比べると、案内が少なく、女人堂まではすべて舗装路で、面白みには欠けるコースであった。
京大坂道は、京都府八幡市からの東高野街道と、大阪府堺市から、下高野街道、中高野街道を合流した西高野街道が、大阪府河内長野市で高野街道京大阪道となり、高野山へ至る参詣道である。この街道は、江戸時代末期になると、圧倒的に利用者が多くなり、旅館や茶屋で賑わうようになる。道中には堺市の十三里石から始まって不動坂口女人堂まで約一里(4 km)ごとに里石(道標)が建っている。
【日程】2019年12月7日(土)
【山域】紀伊
【場所】高野山 京大坂道
【メンバー】マメゾウムシ
【天候】曇り
【コー スタイム】学文路駅11:23〜西光寺・学文路刈萱堂11:36〜大師の硯水12:12〜丹生神社・日輪寺12:22〜千石橋・二里石12:32〜作水集落・第五の地蔵12:44〜「高野の仇討ち」解説板13:33〜日本最後の仇討墓所13:41〜旧白藤小学校13:50〜極楽橋14:08〜不動坂口女人堂14:49〜弁天岳15:10-13〜不動坂口女人堂15:29-39〜極楽橋駅16:07
京大坂道は、町石道、黒河道に比べると距離が短いので、のんびり遅めに自宅を出発した。
学文路駅スタートは11時半近くだった。
いきなり駅から出たところで、どう行くべきかウロウロしてしまった。学文路駅の改札口から正面に出て、車道を右に進み、2つめの角を右に曲がり、踏切を渡ると、案内板を見つけた。
坂を登っていくと、カラスウリの実がなっていた。
すぐに最初の名所である西光寺・刈萱堂に到着。
刈萱とは、出家した武士、刈萱道心とその息子、石童丸にまつわる物語のことで、ここには石童丸の母である千里の墓がある。人魚のミイラがあることでも有名。
案内に従って坂を登っていくと、見事なイチョウの木の紅葉を発見。
案内に従って左へ進む。
第三の地蔵を過ぎて、右手にトンネルがある立派な新道を横切って進む。
ほぼ登り切った所に、大師の硯水の説明板があった。
どうやらこれが大師の硯水らしい。ポンプが動いていたので、今でも生活用水として使われているようだ。
さらに進むと工事中で本来の道が通れないらしい。工事関係者に案内されて迂回する。
第四の地蔵の所から、正規の道に戻って下っていくと、河根の集落に入る手前に河根丹生神社があった。
丹生神社の奥は日輪寺で、鐘がある。
河根の集落にある元本陣の中屋旅館跡。かっての宿場町である。
丹生川に架かる千石橋の手前に二里石が建っている。
千石橋からの下流方向の丹生川の眺め。
急な作水坂を登る。ここからストックを出す。途中の農家で収穫された柿をいただいた。この道は時々車が通るので要注意!
第五の地蔵を通過。
さらに登りは続いて。ほぼ登り切った所にある日本最後の仇討ちの解説版。
解説版からさらに進むと、日本最後の仇討墓所がある。
ほぼ平坦だが下り基調の道を進み、神谷宿に入る。かつては「日が昇ると銭が湧く」というほど賑わった宿場町だったそうだ。昭和天皇のご成婚を記念して建立されたご成婚記念道程標がある。
さらに進むと旧白藤小学校がある。
ここにはトイレと休憩用ベンチがある。
右下に南海高野線を見ながら進むと、極楽橋が見えた。
極楽橋を渡って、不動坂の登りに入る。不動坂を登りに使うのは初めてだが、下りには何回か使っているので、ここからは迷うことはない。
途中でおばさんパーティーを追い抜いて、清不動を通過。
不動坂口女人堂に到着。ここまで全て舗装路だった。ここからようやく未舗装のトレイルに入り弁天岳を目指す。
20分ほどで弁天岳に到着。6月に弁天谷を遡行して以来の山頂だ。
不動坂を下って、弁天岳から1時間ほどで極楽橋駅に下山。
京大坂道は全てが舗装路で、あまり面白くないコースだったが、歴史に触れられるのは興味深かった。総距離16.9 km、登りの累積標高差1200m、所要時間5時間で、リハビリハイクとしては膝に悪いことを除けばちょうどよかった。
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