中立説
本日の1限は中百舌鳥キャンパスで「生物学2」の講義でした。その講義の中で、「故木村資生博士の中立説」を取り上げました。中立説は、分子レベルでみられる変異の大部分は適応的に有利でも不利でもなく、自然選択に対して中立であるというものです。選択に対して中立でも、そのような遺伝子の頻度は偶然によって変化します。現代進化学では、集団中の遺伝子頻度の変化を進化と定義していますので、この偶然による遺伝子頻度の変化も進化です。この現象は遺伝的浮動と呼ばれます。自然選択による進化はより適応度の高い表現型を支配している遺伝子の頻度を高めますが、遺伝的浮動による変化はランダムで予測ができません。
講義でなぜ中立説を取り上げたかというと、中立的な遺伝子の固定率によって生物種間の系統関係の推定ができることを紹介したかったからです。中立的な遺伝子の固定率(進化の早さ)は、特定の遺伝子に注目すると、どの生物でも大体一定の速さであることがわかっています。つまり中立的な遺伝子の固定率は時間に比例し、分岐時間が長い2種ほどその違いが大きくなります。このため、中立的な遺伝子の固定数を進化の時間を測る時計(分子時計)として使うことができるのです。
ここで注意ですが、中立説はダーウィンの進化論を否定するものではありません。現実の生物個体群における進化(遺伝子頻度の変化)には、自然選択と遺伝的浮動の両方が常に働いているのです。どちらも現代進化学を支える重要な柱です。
さて、中立という状態は表現型レベルでも起こるものと思われます。あってもなくても適応的に有利でも不利でもない形質。何が思い浮かびますか? 人だったら尾てい骨あたりでしょうか、あるいは虫垂? そのような形質には自然選択が作用していない以上、おそらく突然変異が蓄積するなどしてかなり大きな変異が存在しているのではないでしょうか。確かに適応的に重要な形質に変異が少ない(遺伝率が小さい)ことは知られていますが、果たして中立的な形質について変異の大きさをきちんと調べた例はあるのでしょうか?
これは自分の研究の宣伝になりますが、私はそのような研究をしておりました。これは以前に話題にした表現型可塑性とも関連があるのですが、昆虫の季節的な表現型可塑性(環境条件の違いによって世代間で表現型を変える)は、その昆虫が多化性(1年に2世代以上)の場合のみに見られる現象ですが、分布の北限で1化性(1年に1世代)になったらどうなるでしょうか? 世代間で表現型をスイッチさせる必要がなくなりますね。つまり表現型可塑性という性質が必要なくなるわけです。表現型可塑性に維持コストがあれば、そのような性質を維持し続けることは、維持しないことよりも不利になります。つまり表現型可塑性は1化性の個体群では自然選択によって消失してしまうのではないでしょうか。一方で、表現型可塑性に維持コストがなければ、表現型可塑性は中立的な形質となり、個体群中に維持されるかどうかは偶然によって決まることになります。維持される場合には、自然選択が作用しないため突然変異が蓄積することになり、かなり大きな変異が維持されることでしょう。
私がシャープマメゾウムシで調べた限りでは、1化性の個体群でも表現型可塑性は維持されていました。ただし、変異の大きさに関しては、調べた形質によって、多化性の個体群より大きい場合も、変わらない場合もありました。詳細については、Ishihara (1999) Evolution 53: 1979-1986 と Ishihara and Shimada (1999) Environmental Entomology 28: 195-200 をご覧下さい。実はこのような研究はいまだにわずかにされているだけで、まだ一般論が言える状態ではありません。来年はキアゲハを使ってこのあたりを詰めることができればと思っています。
ちょっと話しが長くなってしまった。
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