大学生の精神的未熟さと大学の将来は?
本日も1限に講義です。対象は大阪女子大3年生で、専門でない「保全生物学」の講義です。今日は、遺伝的浮動などの進化生態学的な話しにうまく持って行き、とりあえず終了。果たして学生達は理解できただろうか? わからなかったら質問にきてくださいね。とりあえず今週も火曜日から3日連続で1限が続く講義が終わりました。やれやれという気持ちです。
講義終了後は週末に新潟である会議の資料作りをし、昼食後は、忙しくてなかなか読めないでいた論文「Pigliucci (2005) Evolution of phenotypic plasticity: where are we going now? TREE 20: 481-486」に目を通しました。内容は、「表現型可塑性の進化」についてのレビューで、最近の研究成果についてうまくまとめられていて勉強にはなりましたが、それほどのインパクトはありませんでした。
今晩は組合の忘年会です。実は1週間アルコールを断っていました。一応、健康のため、なにか催しがあるとき以外はアルコールを控えるようにしています。今日の一杯はきっとうまいことでしょう。
ここで話題をごろっと変えます。最近、小学生の女の子を狙った犯罪が続いています。幼い娘を持つ親として人ごとではありません。自分の娘がそのような目に遭ったらと思うと、とても許せないことです。先日の事件では犯人の塾講師がなんと大学生でした。大学教員としても見過ごすことができない事件です。その大学生は、そのようなことを起こしたら、いったいどういう事態になるかを冷静に判断できなかったのでしょうか?
マスコミでは最近の大学生の精神的未熟さが問題とされていましたが、大学生の精神的未熟さは確かに今の日本の大学が抱える大きな問題だと思います。学生と普段接していると、本当に20歳を過ぎた大人かと思うほど、学生の行動や発言が幼いのをよく目にします。自己中心的(わがまま)な行動や主張、冷静・客観的に物事を判断できない、自分の力で問題を解決できない、政治や社会に関心なしなどは、今の学生には別に珍しいことではありません。それだけでなく、ちょっとした試練さえも乗り越えられず、簡単に挫折してしまう。これは少子化が進み、子どもを大事に育てるようになった背景も関係しているかもしれません。なかには甘やかされてわがままに育ってしまう子もいるでしょう。大学はそのような学生の性格面・生活面での指導まですることにならざるを得ないのでしょうか?
人員削減、独立行政法人化などで教員の負担は大きくなるばかり、にもかかわらず研究成果等の業績は求められる。ここまで学生の面倒を見ることになると、大学教員はスーパーマンでない限りできる仕事ではない。これではますます日本の大学は世界との差が大きくなってしまうだろう。やはり教員の増員、あるいは学生指導を専門にするポストの配置は必要ではないだろうか? ポスドク問題解決のためにも、これからも続くと思われる人員削減をなんとか止めるすべはないだろうか?
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